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『最暗黒の東京』 松原岩五郎(乾坤一布衣)

松原岩五郎『最暗黒の東京』2017.7.17読了 ★★★★▲
そう言って良いのかは微妙だが、本音として実に面白かった。
もともとは徳富蘇峰が創刊した国民新聞に明治25(1892年)年から連載されたものを、一冊の本としてまとめ翌明治26年に同じく徳富蘇峰が設立した出版社民友社から発刊されたようだ。文語体である。だが講談社の編集者によって旧仮名遣いを改め、今では無くなってしまった言葉には括弧書きで注釈を付けてくれているので特に読みにくくはない。というよりはぐいぐいと引き込まれてしまった。

明治中期における貧民層のリアルタイムルポルタージュである。実際に貧民街に潜入し、実見し、会話し、時にはそこで寝泊まりして仕事をしたりしながら記したものだ。筆者は大政奉還の前年に鳥取県に生まれて東京に出てきた人で、この取材を行っていた時には26歳であったようだ。それはそうだろう。年を取ってからではこの手の仕事はきつい。
あらゆる出自の様々な職種の日々の食さえままならぬ人々が、雨露をしのぐためになけなしの金を払って泊まる木賃宿。その様子の描写からルポは始まる。一家族一部屋ではない。一部屋に詰め込めるだけ詰め込まれる。見ず知らずの数多い人と相部屋で泊まるのだ。だからこそ安いのであり、彼らに払うことができる訳だ。
腹いっぱいの飯にさえ事欠くくらいであるから、同部屋になった人間たちの身体や衣服からの悪臭は耐えがたく、なによりも蚤や虱、蚊の攻撃による痒みに筆者は悩まされ、結局は一睡もできずに朝宿を出ることとなった。そこからこの連載は始まるのだ。

次に驚かされるのが、残飯屋という商売があったということだ。兵学校など一度に大量に食事が供される場所へ出向き、そこで出る残飯を安価で入手する。そして荷車に乗せて貧民街へ持ち帰る。それに利益を乗せて売り捌くのだ。残飯屋前には常に行列ができ、それどころか、店に着く前の荷車を老若男女問わず多くの人間が追いかけていくという有様だ。無くなってしまえば買えなくなるからであり、彼らには死活の問題なのである。そこ以外から買う金がないのだ。
ここのところ「江戸本」を立て続けに読んでいたが、少なくとも食生活という点においては余程江戸時代の方が安定していたような気がする。武士階級支配制度が崩壊し、資本主義の初期的な経済体制に移行してわずか数十年の間に貧富の差が一気に加速してしまったということなのか。

気になったことはまだいくつもあるのだが、長くなり過ぎるので控えつつ、一番驚愕させられたことは書いておきたい。
それは車夫の事である。人力車の車夫である。貧民街の住人として様々な人間が登場するが、このルポの実に三分の一程度が車夫の描写に割かれている。車夫が貧民の代表、ということには少し違和感を覚えたのだが、取り巻く事情を読んで納得できた。
当時、東京に人力車が6万台もあったのだ。調べると、今現在東京で営業しているタクシーの総数が5万台強である。それより多いのだ。
明治も25年になると、新橋から神戸までの、現在の東海道本線に当たる路線が開通している訳で、その他にも全国に鉄道が整備されつつある時代である。東京府内には鉄道馬車も走っていたし、どう考えても廃れ消えゆく運命にある商売である。にも拘らず、現在のタクシーより多い人力車が存在したこと。これは需要よりも供給の方が圧倒的に多いということだ。これでは食べていける訳がない。

もう一つ付け加えると、車夫を中心に貧民街で好まれた食べ物の中に、深川飯と煮込みが紹介されていた。なるほど発祥はそういうところなのかもしれない。ただし、深川飯は、当時アサリではなくバカ貝を使っていたようである。煮込みは内臓系を煮込んでいると書いてあるので、味付けはもちろん違うだろうが内容物は同じである。

これは、今からわずか百年ちょっと前の日本の事なのだ。「明治本」もいろいろと読みたくなった。

最暗黒の東京
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